高校生の頃、英語の時間にアンネフランクの日記の映画を見ました。
映画の内容が残酷でかなり印象に残りました。
特にアウシュヴィッツに連れて行かれてからの演出がひどかった…
いつかこの場所へ行ってみたい。そう学生の私は思いました。
そしてそれが現実になります。
負の世界遺産、アウシュヴィッツ強制収容所
クラクフから8:05分のアウシュヴィッツ行きのバスに乗って1時間30分ほどで目的地に着きます。
ガイドさんを頼みました。
アウシュビッツの唯一の日本人ガイドさんです。ガイド料はわずか60ズロチでした。ユーロなら15€。
そして入場料は無料なんです。
無料のバスも走ってます。アウシュヴィッツって相当広いんです。
しかし、これを無料にするなんて凄いですよね。
アウシュヴィッツ、通称殺人工場。
ここで犠牲になったのはユダヤ人、犯罪者(ナチス政府に反対する人)、ジプシー(インドの方辺りから来た人、しばしばスリや犯罪を起こすので差別的に呼ばれました。)、同性愛者。
しかし90%はユダヤ人でした。
ヨーロッパ中から列車に乗せられて連れてこられました。
連れてこられた人達は「選別」を受けます。
軍服を着ている医者が「選別」を行います。
連れてこられた70%がガス室へ直行です。
ここで多くの女性、子供、お年寄り、障害者がガス室へ連れて行かれて殺されました。
シャワーを浴びるから服を脱げと言われ髪を切られてガス室にぎゅうぎゅう詰にされて上の穴から毒薬を入れられます。
毒薬は殺虫剤です。
亡くなった人達は横にある焼却炉で燃やされ、骨は横にある池へ放り込まれました。
池が満杯になると川へ流しました。同胞がです。
それを同じ列車で連れてこられた同胞がやるのです。
ナチスは階級を付けて彼らを管理しました。
階級上の人達だって死にたくないです。彼らが差別を受けて連れて来られた人たちを管理します。
この様な管理体制があったからこそ暴動が起きなかった様です。
ドイツ人は自らの手を汚さず管理をしていたのです。
朝早くに叩き起こされ、食事は小さなパンとスープ合計1000カロリーほど。(1日に必要なカロリーの半分です。)それからひどい肉体労働。
トイレは1日二回20秒です。穴が開いているだけの所がトイレ。
寝る所は倉庫の棚の様な所に5.6人で寝ます。
冬は最悪マイナス30°になる環境。
どれだけ過酷かわかりますよね?
ここに連れてこられて2ヶ月生きればいい方、劣悪な環境でどんどん亡くなっていきました。亡くなった数は計り知れず…
前もって知識は持っていましたが現実に来て見てみると言葉を失うほど残虐な事実を見せ付けられました。
色々な物が展示されていました。
シャワー室に入る前に切られてた髪の毛の山…
これは布にされます。
実際に見ましたがこの布が髪の毛でできていると思えませんでした。
なぜこの様な事が起きたのか…?
浅い考えでしたがヒトラー率いるナチスが一方的に殺戮を繰り返したと思っていました。
ドイツ側としては世界大戦に負けて多額の借金を負わせられ世界恐慌があり、経済は最悪でした。ドイツの若者に希望はなく落ち込む毎日。
そんな時に選挙で選ばれた政党の党首がヒトラーでした。
ヒトラーはドイツが落ち込んでいるのはユダヤ人のせいだと決め付け彼らを殺戮していったのです。
ヒトラーの政党を支持したのは30%程の有権者。その他多くは傍観者でした。
当時ドイツ側にも大きなストレスがあり、怒りの矛先をユダヤ人に向けてしまったからこのような残虐な事件が起きました。。
様々な話を聞きましたがユダヤ人の問題はかなり難しいです。彼らは自分の国を持っていないのです。その為ヨーロッパに自分たちの住む所を探しに来たのです。つまり難民なのです。
なぜアウシュビッツ行きの列車に乗ったのかというと強制連行でもありますが嘘をつかれたのです。
働いた後に土地をあげますよ。という感じでしょうか?難民ならとてもオイシイ話ですよね。
どうしてそのことをユダヤ人が信じてしまったのかというと
自分たちの持って来たカバンに名前を書かせたり、収容所に歓迎の音楽隊を導入したり、お花で辺りを綺麗にしたりとカモフラージュして信じ込ませたのです。
ユダヤ人たちはただ、自分たちの安心出来て住める場所が欲しかっただけ。
戦後、ユダヤ人はイギリスから土地を貰いました。イスラエルです。
イスラエルは元々、ユダヤ人の土地でした。
戦争の流れで失った自分たちの本当の土地を得たのです。
しかし、そこにはアラブ人がすでに住んでいました。イギリスが両者にこの土地あげるからイギリスに協力してよ!って言ったんですね。
これのせいで今日もパレスチナ問題は続いているのです。
そう、この問題はまだ続いているのです。
私が説明を受けたのはこのような話です。
感じることは沢山ありました。
アウシュヴィッツは過去の過ちを忘れないように、考えさせてくれる場所でした。